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2021/10/26

どうなる教員免許更新制 リターンズ2

Tweet ThisSend to Facebook | by 星槎大学 事務局
2021年10月26日

 更新講習の発展的解消という名の制度廃止は本当に必要なのであろうか。
 その方が、現場にとっては良い環境整備になるのであろうか。
 令和の学校教育と、ここ10年以上世界で議論されている「新しい資本主義」はどこへ進むのだろうか(新総理も取り組むとのことですね)。「平成も終わったのに、まだ学校教育は昭和なのか」と揶揄されたのは、主としてICT関連を切り口にしてのことだったと思う。確かに一般企業と比べると、その必要性と重要性の観点から、ICT活用に関して学校関連が遅れていたのは事実だ。そして、そこを押さえつつ教育活動が展開できなかったのは事実かもしれない。しかしながら、学校教育の現場では新自由主義や資本主義の先にあるであろう、未来の世界を確実に見ていたはずだ。だからこそ、全国的にみると、若者が大都市集約的な社会状況に疑問を持ち、地域の重要性を認識した動きになってきていたのではなかろうか。グローバリズムへの疑念や、人と人との関り合いを大切にして、古民家など活用して、サスティナブルな生活を求めて、多くの若者がいわゆる地方で新たな社会的取り組みを始めたのは、まさに新しい資本主義の動きなのではないか。この人間的な動きを支えてきたのが、学校教育だと私は考えている。
 それゆえに、新自由主義という名のもと学校バッシングの風がビュンビュン吹く中で、ひたすらこども達のために、つまりは未来のために、人生を捧げてこられた先生たちに心から敬意を表したい。おそらく、このポイントをはずした未来への議論はあまりに短絡的になるのではないかと心配している。

 さて、教員免許更新制の発展的解消についてである。
 現在、更新講習小委員会で議論されてきた、審議のまとめがパブリックコメントに回されている。ここで、更新講習の発展的解消という方針が審議のまとめとして示されている。パブリックコメントの論点例として挙げられているのは以下の4区分で、それぞれの区分に応じて、複数の論点についての意見の場合には、とりまとめの都合上、論点毎に別様せよとのことだ。「なに!取りまとめの都合だと」という気分でもある。

1.「令和の日本型学校教育」を担う新たな教師の学びの姿
2.「新たな教師の学びの姿」の実現に向けて講ずべき当面の方策
・公立学校教師に対する学びの契機と機会の確実な提供(研修受講履歴の記録管理、履歴を活用した受講の奨励の義務づけ)
・国公私立学校の教師を通じて資質能力を向上する機会の充実
・教員免許状を保有するものの教職には就いていない者の資質能力の確保に資する学習コンテンツの開発
・現職研修のさらなる充実に向けた国による指針の改正
3.さらに検討を深めるべき事項と具体的方向性
・研修履歴を管理する仕組みの高度化(研修受講管理システムの導入)
・新しい姿の高度化を支える3つの仕組み(学習コンテンツの質保証、学習コンテンツを適切に整理・提供するプラットフォーム、学んだことの証明)
・教職員支援機構の果たすべき役割
4.教員免許更新制の発展的解消について

 これに、意見をもらおうというのだ。それぞれに審議のまとめではもっとこう書いた方がいいというような意見を求めているのかもしれない。
 しかし、審議のまとめに書いてあることは、その文脈だけで見ると至極当然のことなのである。もう少し、通信教育のことについて触れてほしいというような意見であればその程度の加筆は可能なのだが、そもそも更新講習の廃止には反対なのだという意見はどう書いたらいいものであろうか。

 ということで、今回このコラムでは、私のパブリックコメントを表明したいと考えている。

(パブリックコメント)
松本幸広(男)58歳「教員免許更新制の発展的解消について」川崎市 大学教職員

1.審議のまとめでは中教審の引継ぎでの更新講習検討の目的とされていたことが達成できていない
 「教師の資質能力の確保 」「教師や管理職等の負担の軽減」「教師の確保を妨げないこと」を達成するために、抜本的な検討をしたはずである。結論として、「すべての大学で意味あるいい更新講習ができるとは言えない」「何をやっても受講する教員の負担感はなくならない」「開設者の負担も消えず、受講料値上げの心配もある」「ペーパー免許の人は自腹を切って講習を受講するとは考えにくい」という「改善方策とその限界」に記載されたことは全く妥当性のないもので、審議を尽くしたとは到底思えない内容で更新講習制度廃止の理由になるとは思えない。

〇「教師の資質能力の確保 」これは、教師の自らの学びへの姿勢と、その際の学びのコンテンツに尽きるわけだ。だから、どう学びのインセンティブをつけ、どんなコンテンツを提供できるかが大事なはずなのだ。故に議論すべきはこの点のはずだ。更新講習の内容はいい大学もあるがすべての大学でよい内容にはならないなどとは理由にならない。実際受講した教師は、更新講習の内容や会場までのアクセスや受講料には不満を漏らすが仕組みに不満を漏らしていない。

〇「教師や管理職等の負担の軽減」これこそ、ICTの活用をもって解決すべき課題だ。その結論が、「何をやっても受講する教員の負担感はなくならない」「開設者の負担も消えず、受講料値上げの心配もある」というのは結論になっていない。当たり前の事実を述べているだけだ。実際に心ある教師が、自らを高めるためにどれだけ投資しているのか考えてみてほしい。少なくとも、私自身は「最低月に1万円程度は学びのために自己投資せよ」と先輩に教わってきた。これは40年前の特別な事例ではなく、一般的なことであると認識している。ICTを活用して自宅で受講可能になるだけで無駄なコストを削減できる。

〇「教師の確保を妨げないこと」教員確保の障害の観点は3つある。早期退職と再任用と新規採用だ。早期退職は、定年後のことまでに自腹を切りたくないし、区切りがいいと考える55歳教員だ。これはいかんともしがたい。人生は人それぞれだ。再任用に関してはお願いされてそれにこたえるのであるのだから更新に関する費用は雇用者側が負担するのが当然だと思う。新規採用は、教員の魅力を伝えるべきことだ。ゆえに、更新講習は再任用の部分での経費負担以外あまり関係ない。

2.制度解消に向かう契機となった調査の結果を受けての小委員会の判断はおかしい
 7月5日に開催された小委員会での「令和3年度 免許更新制高度化のための調査研究事業」の結果をもって、文科省のメディアへの情報提供から一気に更新講習制廃止になったわけであるが、あまりに恣意的な判断であるといえる。制度をなくすための調査という感じがする。この調査研究事業は毎年やっているのであるから、少しは過去データと比較する議論がないものか。ただし、経年比較するデータにはなっていないので、経年比較は文部科学省指定アンケートが有効だと考える。

3.90%を超える受講生の肯定的意見に関わらず制度解消にするのはあまりに暴力的
 制度が始まって、2周目になっている現在でも、文部科学省指定のアンケートで、受講生の講習への肯定的評価が90%以上であるというのは、きわめてうまくいっている制度であると考えられる。それを、先に挙げてきたような理由で廃止にするという判断は無理があり暴力的だともいえる。

4.「社会的変化の速度向上と非連続化を受けた学びの在り方の変化」の記述は、あまりに不適切
 文中の「社会の在り方そのものがこれまでとは「非連続」と言えるほど劇的に変わる状況が生じつつある」はまだしも、タイトルに「社会的変化の速度向上と非連続化を受けた学びの在り方の変化」と記載するのは、売れることだけを目的にしたメディアの見出しのような印象操作とも思える不適切表現だと思う。劇的に変わるさまを例えて、「非連続化」という比喩的に言葉を使っているのであって、審議のまとめの見出しで使うのは不適切だと考える。実際、「社会的変化の非連続化」などあり得ない。

5.そもそも国会の附帯決議に関してどのようにしてきた結果なのであるか疑問
 平成19年5月17日の衆議院での附帯決議、同年6月19日参議院での附帯決議に関して対応がなされている部分もあるが、以下の事項「免許状更新講習の受講負担を軽減するため、講習受講の費用負担も含めて国による支援策を検討」「現職教員以外の者であって教員免許状を授与されたことのある者の免許状更新講習の受講要件を拡大する方向で検討」はどのようにされてきたのか。
 少なくとも、この2点を真摯に検討していけば、当初あげられていた課題を解決する、もしくは解決に近づくこととなったのではないか。それゆえに、これに対応していない現状で制度廃止という結論とするのは反対である。

6 .意見まとめ
 「社会が日進月歩で変化することに伴い、修得した知識技能も急速に陳腐化していくことは明らかであり、教師自身も高度な専門職としてたゆみなく新たな知識技能の修得に取り組み続ける必要がさらに高まっている」という指摘はその通りである。これに反対する教員はいないと思われる。
 しかし、学ぶ教員と学ばない教員のような二元論の立て方は不適切だと考える。学ばない教員にどのように学ばせるかのような変な議論になってくる。少なくとも、教師は目の前にいるこども達から多くの重要なことを学んでいく。
 それを、どのような仕組みで管理すれば学んでいることを掌握できるようになるかという方向だけで議論するのは、少々管理のし過ぎで、だったらAIに教育させればいいのではないかなどという方向に行きかねない。この審議のまとめでは、教師の学びのために校長等管理職の役割やLearning Analytics(学習分析)を通じた個別最適な学びの促進など語られているが、強いられた学習はうまくいくとは思えない。せいぜい、更新制が限度だと考える。
 学ぶ大人の背を見て、こども達は育っていく。その学ぶ大人の代表が教師であってほしいし、Learning to be. という学びの基本を体現していく社会となる国であってほしい。
 以上のことから、免許状更新講習の発展的解消は、免許状更新講習規則の改正をすることで、運用面で改善を図ることが適切であると考える。

 以上が私のパブリックコメントである。
 多くの人がこれを読んで共感してくれることを願っている。
 私の意見は、「90%以上の受講生が肯定的に考えているのであれば、法令改正は必要なし。運用の改善で対応するのが妥当」というものだ。そして、一番言いたいことは「もっと、現場の教師を信じるべきだ」ということである。これ以上真綿で首を締める様な管理を強めない方がいい。
 表立って文言になってはいないが、なんとなしに教員バッシングは続いているのではないかということを今回の審議のまとめから感じる。そこで、より教員を監理する方向に物事が動いているように感じる。元来多様性があった学校教育。言い方を変えるとそれなりの色を持った教員が、その人となりを表現できた現場。一人として同じものはいない唯一無二のこども達を伸ばしていけるのは、画一的ではない教員。確かに世の中は、画一的教育ではなく、こども達の個性を伸張できる方向に動くように進んでいるように見える。しかしながら、その言葉のもと逆に大枠では画一的な方向に向かっているのではないか。
 多様性を包み込み、それぞれの個性を活かした教育の前提は、人としての教師の成長にあるはずだ。そして、その道は人に応じただけのものがある。見直すべきは、教育の仕組みのような気がしてならない。
 また、専門職大学院を制度上持つ「高度な専門職」である教師に必要なのは、職能団体なのではないかと考える。教師という専門職の資質向上を図るのは主体的な取り組みであるのはわかりきったことだ。強いられるのではなく、学ぶ意義と喜びを伝えていける専門職としての教師に期待するし、我々と関わりの深い団体にも期待している。

 ぜひ共感していただけた方は、パブリックコメントに「審議のまとめにある、更新講習の廃止に反対」と声を届けていただけるといいと思う。1万件を超えて届けることができたらば、無視はされない気がする。

 パブリックコメントはこちら

 今回も、毎度毎度の繰り返しになるが、教師とは以下のような職業だということを大いにPRできるように環境を整え、実現したらどうか。
 「教員の日常は大変かもしれないけど、まとまった休みがある。」
 「それなりの給与が保証される。」
 「なにしろ、やりがいは十分すぎるほどある。毎日が学びだ!」
 こんな生き方をしたいという方は、壮年者も含めてそれなりの数がいそうな気がするのだが、皆さんいかがお考えになるだろうか。今回も宣言するが、私も自分の人生の最後のステージで今一度現場で活動してみたいと思っている口である。
 上記に加えて、新卒者向けには、学生支援機構からの奨学金の返還にも配慮することを示してほしい。
 現在、学生支援機構の仕組みでは、返還免除になるには、大学院(修士課程・専門職学位課程・博士(後期)課程)修了の優秀な成果を収めた人だけだ。ぜひ、かつての様に教員として未来創造に責任をもって携わる方にも免除を適用していくことが必要なのではないか。

(スケジュール予測)
免許状更新講習規則改正 2021年11月(ほぼ確定)
教育職員免許法改正 省内調整・法案準備
法案提出 2022年1月(最速5月改正法成立)
2022年度受講対象者は現制度適用
新制度開始 2023年度

(著者紹介)
松本 幸広(まつもと ゆきひろ)
 埼玉県秩父郡長瀞町出身のチチビアン。学生時代宮澤保夫が創設した「ツルセミ」に参加。大学卒業後宮澤学園(現星槎学園)において発達に課題のあるこども達を含めた環境でインクルーシブな教育実践を行う。その後、山口薫とともに星槎大学の創設に従事し、いわゆるグレーゾーンのこども達の指導にあたる人たちの養成を行う。星槎大学においては、各種教員免許の設置をおこない、星槎大学大学院の開設も行う。「日本の先生を応援する」というコンセプトで制度開始時から更新講習に取り組んでいる。新たな取り組みである、「1day講習」の講師も務める。


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